新渡戸稲造氏とバンフ

令和4年9月1日
2022年9月1日は、新渡戸稲造氏の160回目の誕生日です。当総領事館は、この機会に、その最後の仕事の地がアルバータ州のバンフであった新渡戸氏を、カナダの皆さんに紹介したいと思います。

彼は、明治維新前の1862年9月1日に、本州北部、岩手の盛岡に生まれました。

彼の肖像は旧5,000円札に使われていたので、覚えている方もいらっしゃるかもしれません。また、彼の著名な著書「武士道:日本の魂」(1910年に英語で出版されました)を通じて彼の名前をご存じの方もいらっしゃるでしょう。

彼は優れた文筆家だっただけでなく、偉大な外交官でもありました。彼は、国際連盟の事務次長を務めています(1920-1927年)。それより前、当時の帝国大学(現在の東京大学)入試で志望理由を聞かれ、彼は「願わくは、われ太平洋の橋とならん」と応えたそうです。その後の日本と世界を取り巻く情勢は難しいものでしたが、彼はたゆまず諸国間の理解増進に努め、熱心に世界平和を追求し続けました。

1933年に日本は国際連盟からの脱退を表明しましたが、その年の秋に彼は、日本代表団の団長として、アルバータ州バンフで開催された第5回太平洋問題調査会議に出席しました。会場は、当時のバンフ・スプリングスホテル(現在のフェアモント・バンフスプリングス)でした。容易にお分かりになるとおり、時は新渡戸氏の味方はしてくれませんでした。

彼は、最後に出席したこの会議で成功したとは言えません。しかし、「太平洋の橋」でありたいとの彼の努力は賞賛に値するものです。また、皆さんには、彼がアルバータ州のあの美しいバンフで、とてつもなく困難な状況下で平和を追求したことを覚えて頂きたいと思います。会議後の1933年10月15日、彼はB.C.州ビクトリアでの手術後、71歳の生涯を閉じました。

現在、ブリティッシュコロンビア大学バンクーバーキャンパスには新渡戸記念庭園があり、多くの人が訪れています。

最後に、新渡戸氏のバンフでの写真の使用を快くご承諾頂いた盛岡市先人記念館に、心より御礼申し上げます。