平原諸州の鉄道駅
今回(第4回)は、少し趣向を変えて、平原諸州の鉄道に係わる話をしたいと思います(右は、カルガリーのヘリテージパークを走る蒸気機関車)
良く知られているように、1871年にブリティッシュコロンビア州が連邦に加入した時の条件は、10年以内に大陸横断鉄道を建設することでした。
カナディアンパシフィック鉄道(CPR)は、1881年に建設が始まり、1883年夏にはカルガリーに到達、1885年11月7日にブリティッシュコロンビア州クライゲラヒーでドナルド・アレクサンダー・スミス氏が最後の犬釘を打ち、完工(右は、カルガリーの軍事博物館にあるスミス氏の像)。1886年6月28日には最初の旅客列車がモントリオールを出発し、7月4日に大西洋岸のブリティッシュコロンビア州ポートムーディーに到着しています。
その後鉄道は、19世紀末から20世紀にかけて、平原諸州の発展において大きな役割を果たしました。膨大な移民の波に応えるべく、いくつもの鉄道建設が始まります。1914年には、ジャスパー経由で西海岸のプリンスルパートへの路線も開通しました。しかし、雑な計画による路線拡張と第一次大戦による収益悪化を受けて、CPRを除く全鉄道の国有化が勧告され、1920年代にはカナディアンナショナル鉄道(CN。1919年設立)がこれら鉄道の統合を完了しています(CNは1995年に民営化)。
他方、第一次・第二次大戦時には、鉄道は兵員や物資の輸送に大きな役割を果たしています。第二次大戦期には、CPRはカルガリー整備場等で海軍艦艇用の大砲なども製造しました(右は1940年のカルガリー整備場の様子を示す写真。カルガリー軍事博物館の展示)。
第二次大戦後は、鉄道による旅客輸送需要は減少し、ほとんどのカナダの鉄道輸送は他の手段と比べて競争力のある資源・穀物等を含む貨物輸送となっています。(一部の観光用鉄道を除く。)
それでは、今も平原諸州に残る鉄道関連遺産をいくつか見てみましょう。
まず、今もサスカチュワン州のCN沿線に残る日本語地名について。1904-05年の日露戦争中、日本は英国の同盟国でした(日英同盟。そのため日本は大英帝国各地で人気だったらしく、この戦争における日本の戦果を称えて、サスカチュワン州では3つの村(トーゴー(東郷平八郎・元帥海軍大将に因む)、クロキ(黒木為楨(ためもと)陸軍大将)、ミカド(帝))、地域の公園(オーヤマ(大山巌・元帥陸軍大将))、待避線(フクシマ(福島安正・陸軍大将))という日本名が与えられています(日本カナダ学会資料等による)。
次は、アルバータ州レスブリッジ近郊オールドマン川渓谷に架かるレスブリッジ高架橋(長さ1,624m。高さ96m)。この種の橋(構脚橋)としては世界最大。1909年11月3日に運用が始まり、今も現役です。架橋工事には、日本人工夫も従事したそうです。
エドモントンにも、ノースサチュカチュワン川渓谷に架かる高架橋(長さ777m)があります。こちらは、鉄道(CPRと市電)・車両共用2階建て(車道の横に歩道付)で、1913年に運用が始まっています。現在運行している鉄道は、観光用の市電のみです。
マニトバ州ウィニペグには、古典主義風ボザール様式のユニオン駅(現在は鉄道博物館を併設)があります。当時のカナディアンノーザン鉄道、ナショナルトランスコンチネンタル鉄道、グランドトランクパシフィック鉄道とカナダ自治領政府の共同事業として建設され、1911年8月7日に運用が開始された駅舎です(公式開業は1912年6月24日)。一時はCNの支社が置かれました。現在のニューヨーク・グランドセントラル駅を担当したウォーレン・ウェットモア社の設計で、西カナダ最大級の駅舎の一つです。
次はアルバータ州に残る駅舎です。
また、カルガリーのヘリテージパークには、アルバータ州南部にあった幾つかの鉄道駅が移設されています。
(1890年頃建設) |
(1910年建設) |
(1910年建設) |
さて、現在カルガリーに鉄道駅舎はありませんが、以前はどうだったのでしょうか。カルガリーに鉄道がやって来た当初の最初の駅舎は、とても小さなものだったそうです。しかし、カルガリーの発展とともにより大きな駅舎が必要となり、1893年には第2代目の駅舎が建設されました。カルガリー市内のHeritage Parkにあるレイルウェイカフェ(下の写真)は、この時の駅舎を模して建てられたものだそうです。
その後、第2代目駅舎も手狭となり、旧駅舎の建材はカルガリーの南ハイリバーとクラレスホームに運ばれ、1911-12年から両地の駅舎として活躍することになります。第3代目駅舎は1911年に建設され、この駅舎が現役だった1914年には、その隣に豪華なパリサーホテル(現・フェアモントパリサー)が建設されました。
(現・ハイウッド博物館) |
(現・クラレスホーム・地域博物館) |
余談ですが、ハイウッド博物館にはハイリバーや近郊で撮影された映画等の記念品等が展示されており、中には「スーパーマンIII」で使用されたスーパーマンのマントなど(左写真)もあります。
話をカルガリー駅に戻します。第3代目駅舎は大きく立派なものでしたが、カナダ100年を記念してカルガリータワー(建設時の名称はハスキータワー)と駅機能を備えた複合施設を建設することが決まり、1966年に右駅舎は取り壊されました。タワー等の建設は1967年に始まり、1968年6月28日に公式にオープンしています。(1990年1月、複合施設は旅客駅としての機能を終了。)