リメンブランス・デーに際して

令和5年11月11日
毎年11月11日、カナダの方々は、戦争、紛争、そして平時にカナダのために尽くした、及び尽くし続けているカナダ人のことを思い、黙祷を捧げます。これは、国やコミュニティーに貢献した、あるいは今も貢献している人々を顕彰するための、大変重要な日だと思います。

連載第6回目となる今回は、第一次世界大戦に参加した日系カナダ人について触れたいと思います。昨年のリメンブランス・デーのことでした。当館館員がカルガリー市内のメモリアルドライブ沿いに設置されたField of Crossesを訪れた際、偶々第一次世界大戦で戦死したマサキチ・オータニ兵卒(第10大隊所属。享年38歳)に捧げられたクロス(右写真)を見つけました。







プロジェクトの主催者によれば、全部で3,500設置されているクロスのうち、19が第一次大戦で戦没した日系人に捧げられたものとのことです。今年は同じ場所で、チョーイチ・ナカムラ兵卒(第50大隊所属。享年30歳)、ヒコジロー・ナリタ兵卒(第50大隊所属。享年29歳)に捧げられたクロスにも出会いました(右写真は、今年のField of Crosses全景)。


カナダ政府のwebsiteによれば、彼らの故郷は岡山県、神奈川県、福岡県、栃木県、熊本県、兵庫県神戸市、広島県、宮城県、三重県とされています。彼らは仏のヴィミー・メモリアルに眠っておられ、バンクーバーのスタンレー公園には第一大戦における日系カナダ人戦死者を記念する碑もありますが、ここカルガリーの人たちが、彼らのことを忘れずに追悼して頂いていることに、心から感謝致します。

カルガリーにある軍事博物館の展示(右)によれば、当時のカナダ遠征軍には228名(他の資料では222名)の日系人義勇兵が参加していました。そのうちの半数超はカルガリーを拠点とする第10大隊、及び第50大隊の所属であり、当初彼らは、メディスンハット(アルバータ州南東部)、スウィフトカレント(サスカチュワン州南西部)、マクロード・バレー(アルバータ州エドモントンの西)、クロウスネスト・パス(アルバータ州南西部)で入隊したそうです。





これより先の1915年、日系人が多く住んでいたブリティッシュコロンビア州では、同地のカナダ・日本協会がカナダ軍への日系人義勇兵の参加を企図しました。その目的は、自分たちが責任感のあるカナダ市民であることを示すこと、そして、投票の権利を獲得することでした。戦争が長期化し兵員補充の要請は高まりましたが、ブリティッシュコロンビア州の徴募事務所は依然として日系人を含むアジア系住民の登録には否定的であり、それを回避するため、200名以上の日系人(一世)が入隊のためロッキー山脈を越えてアルバータ州に赴きました。また、当時既にアルバータ州南部にも日系人コミュニティーが存在しており、レイモンドにある戦没者慰霊碑(右の写真)には日系人と思われる名前も記載されていることから、この地域に住んでおられた日系人の入隊もあったと考えられます。




その後、彼らは厳しい状況の中を仏ヴィミーリッジ等の欧州戦線で戦い、入隊者のうち54名が亡くなりました(右の写真は、軍事博物館に展示されている日系人戦死者を記念する栄誉のリスト)。ヴィミーリッジの戦い等での活躍が評価された福岡県小倉生まれのマスミ・ミツイ軍曹と13名の日系人が勲章を受けています。


(ミツイ軍曹は1919年4月除隊。その後は日系カナダ軍人の投票権獲得のために活動し、第二次大戦に際しては、連邦政府の日系人強制収容に強く抗議。1987年オンタリオ州ハミルトンで逝去されています。ご令孫は2013-2016年にエドモントン日本文化協会(EJCA)会長、2016年から2年間全カナダ日系人協会(NAJC)会長を務めたディヴィッド・R・ミツイ氏です。)